勇み(前133)、足元すくわれる、グラックス兄弟の改革
グラックス兄弟は、中小農民の没落がローマの軍事力低下につながると危機感を抱き、護民官として改革を断行します。
しかし元老院の強い反発により、兄弟ともに志半ばで倒れてしまいます。
この記事では、グラックス兄弟の改革について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
ローマ社会の変化 ― 属州支配

第3回ポエニ戦争でカルタゴが滅亡すると、ローマは広大な属州を獲得し、社会構造が大きく変化しました。

属州とは、イタリア半島以外のローマの占領地のことです。
自治権はなく、ローマが任命する属州総督が統治し、徴税請負人による重税が課されました。
騎士階級(エクイテス)の台頭
徴税請負人は、属州で得た利益によって、新興の富裕平民として台頭しました。
この新興の富裕平民を騎士階級(エクイテス)といいます。
元老院議員は商業活動が禁止されていたため、騎士階級(エクイテス)が独占的に利益をあげることができました。
大土地所有者の誕生
騎士階級(エクイテス)は、属州で得た莫大な富を使って、イタリア半島の土地を買い占め、大土地所有者になっていきました。
戦争が続いたことで没落していた中小農民の土地が次々と買収されたことが背景にあります。
ラティフンディアの発展

大土地所有者は、属州から連れてきた大量の奴隷を使用し、商品作物を栽培する大土地経営「ラティフンディア(ラティフンディウム)」を形成しました。
イタリア半島ではオリーブやブドウを、シチリア島では穀物を栽培されました。
ラティフンディアによって、ローマ経済の中心が小農から奴隷制大農場へと移り変わっていきます。
中小農民の没落とローマ軍の弱体化
ラティフンディアの発展と、属州から安価な穀物の流入によって、生計を維持できなくなったイタリア本土の中小農民の没落が加速しました。
没落し土地を失った中小農民は、無産市民になりました。
これは中小農民を兵士の中心としていたローマ軍の弱体化を意味しました。
シチリアの奴隷反乱
こうした中、前135年にシチリア島で約20万人の奴隷反乱が起こり、弱体化したローマ軍は鎮圧に苦戦しました。
「パンと見世物」

有力者は、選挙権をもつ無産市民の支持を得るため、「パンと見世物(パンとサーカス)」を提供しました。
「パン」は食糧の配給、「見世物(サーカス)」は、剣奴(剣闘士奴隷)による競技を意味します。
剣奴の競技はコロッセウムで行われ、市民の人気を集めました。
グラックス兄弟の改革 ― 土地所有の制限
こうした中、中小農民の立て直しをするため、護民官となったグラックス兄弟は土地改革に着手しました。
閥族派と平民派の対立
グラックス兄弟の改革の頃から、ローマ市民は、閥族派と平民派に分かれて対立するようになります。
閥族派は元老院に従うグループ、平民派は平民会に従うグループです。
グラックス兄弟は、平民派として改革を進めました。
グラックス兄の改革

まず、グラックス兄(ティベリウス=グラックス)は、リキニウス法の復活を掲げ、土地所有を制限し、余った土地を没落した中小農民(無産市民)へ再配分しようとしました。
これは、ラティフンディアの制限を意味しており、反対派の閥族派(元老院ら)によって暗殺されてしまいます。
グラックス弟の改革

その後、グラックス弟(ガイウス=グラックス)は、貧民救済のための多くの改革を進めましたが、やはり反対派の閥族派(元老院)により自害に追い込まれました。
内乱の1世紀へ
グラックス兄弟の改革が失敗したあと、ローマは「内乱の1世紀」と呼ばれる混乱期に入ります。
グラックス兄弟の遺志を継いだ平民派の軍人マリウスは、無産市民を兵士として受け入れる兵制改革(傭兵制の導入)を行い、ローマ軍の再建を行なっていくことになります。

理解を深めるQ&A
よくある質問を通して、学びをさらに深めよう!
