漢(
張騫の西域派遣 ― 大月氏との同盟は失敗
しかし、同盟は失敗し漢に帰国しました。

大宛遠征 ― 汗血馬の獲得
張騫の西域派遣で得た情報の中に
漢の武帝は、
敦煌郡など4郡を設置 ― シルクロードへ
漢の武帝は、
これにより、オアシスの道(絹の道、シルクロード)が漢の支配下に入りました。
その後、匈奴は勢力が衰え、東匈奴と西匈奴に分裂することになります。
南海郡など9郡を設置 ― 海の道へ
南方の支配を固めるため、秦末に
ここに
これにより漢の支配は、現在のベトナム中部まで拡大し、インド方面とつながる海の道へのアクセスが可能になりました。
楽浪郡など4郡を設置 ― 朝鮮北部を支配
朝鮮半島では、
武帝は、これに怒り、衛氏朝鮮を滅ぼし、
これにより漢の支配は、朝鮮北部にまで拡大しました。
塩・鉄・酒の専売 ― 生活必需品の専売
漢は相次ぐ外征で財政が傾きつつありました。この状況を打破するため、財政改革にも取り組みました。
財政官僚の
塩・鉄・酒といった生活必需品を民間で自由に売買できなくし、高い税金をかけることで、国の収入を増やしました。
庶民は生活が困窮
しかし、生活必需品が買いにくくなった庶民は、生活が困窮しました。
均輸法・平準法 ― 差額を国の収入に
桑弘羊は、物価を安定させるために均輸法と平準法を実施しました。
また、
どちらも差額を国の収入としました。
商人は大土地所有者に転身
これらの政策は、商人が行っていることを国が行うということであり、民間の商業を圧迫しました。
儲からなくなった商人は、土地の購入に走り、大土地所有者(豪族)に転身していきました。
五銖銭の発行
粗悪な貨幣の流通を防ぐため、貨幣を作る権限を国家が独占し、民間で鋳造できなくしました。
そして、改めて
儒学の官学化
漢の武帝は、
また、
郷挙里選 ― 豪族の中央政界進出を招く
漢の武帝は、地方長官が徳のある優秀な人材を中央に推薦する官吏登用制度である
この制度は、地方豪族が自分の子弟を中央に推薦させたため、豪族の中央政界進出を招くことになります。
この時代に興味を持つために ― 漫画『史記』
久松文雄の漫画『史記』第7巻、第8巻、第9巻は、漢の武帝の治世の華やかさと厳しさを描き出しています。これらの巻では、武帝の軍事政策や外交だけでなく、名将・李陵の悲劇的な運命も描かれています。歴史を学びながら、武帝時代の激動を臨場感たっぷりに味わえる一冊です!