前1450年 ミケーネ文明

トロイの木馬
トロイア戦争で活躍したトロイアの木馬
語呂合わせ

いしこれ(前1450)見よ、ミケーネ文明

ミケーネ文明は、ミケーネを中心に栄えた青銅器時代の文明です。アカイア人がクレタ文明を滅ぼして作った文明です。

この記事では、ミケーネ文明について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。

目次

アカイア人の侵入とクレタ文明の滅亡

エーゲ海のクレタ島で繁栄していたクレタ文明は、アカイア人の侵入によって滅亡に追い込まれました。その後、ギリシアのペロポネソス半島のミケーネを中心にミケーネ文明が栄えることになります。

アカイア人は、前2000年頃にバルカン半島に南下してきたギリシア人一派のことです。

ミケーネ文明 ― 戦闘的な文明

ミケーネ文明は、ペロポネソス半島にあるミケーネを中心に繁栄した文明です。外敵を防ぐ城塞があり、戦闘が多発していたことがうかがえるため、クレタ文明と比べて戦闘的な文明であったといわれています。

巨石による城塞王宮

ミケーネ文明
城塞王宮

ミケーネティリンスピュロスといった文明の中心となる都市には、巨石を使った城塞じょうさい王宮が築かれました。

巨大な城塞から、軍事的な関心の高さがうかがえます。

線文字B

線文字B
線文字B

ミケーネ文明では、線文字Bが使用されていました。線文字Bは、線文字Aを簡単にした音節文字です。線文字Bは、1952年にイギリスの建築家ヴェントリスによって解読されました。

粘土板に記された線文字Bによって、ミケーネ文明を築いたのがギリシア人であることが判明しました。

貢納王政

ミケーネ文明の都市では、中央集権的な組織が作られ、農作物を徴収する貢納こうのう王政が行われていました。

トロイア戦争 ― ミケーネとトロイアの戦い

トロイア戦争
トロイア戦争

ギリシアのミケーネ文明とアナトリアのトロイア文明との戦争が、ホメロスの叙事詩『イリアス』や『オデュッセイア』で語られています。

これをトロイア戦争トロヤ戦争トロイ戦争)といいます。

トロイア文明

シュリーマン
シュリーマン

トロイア文明トロヤ文明)は、アナトリア(小アジア、現在のトルコ)に存在した文明です。

ドイツ人考古学者のシュリーマンが発掘を行い、トロイア遺跡トロヤ遺跡)の存在を確認したことで実在が明らかになりました。

木馬の計 ― トロイアの木馬

ミケーネ王アガメムノンは、ギリシア連合軍を率いてトロイアに遠征したと伝えられています。

10年にわたる包囲戦が続きましたが、決着はつきませんでした。

そこで、知恵者オデュッセウスが一計を案じます。

巨大な木馬の中に兵士を潜ませ、撤退したように見せかけてトロイアへ侵入し、奇襲によって勝利したのです。

この作戦を「木馬の計」といいます。

ローマ建国の物語へ

トロイアの英雄アエネアス
トロイアの英雄アイネイアス

ウェルギリウスの叙事詩『アエネイス』には、トロイアの英雄アイネイアスが陥落後にイタリア半島に逃れ、のちにローマ人の祖になったと語られています。

ミケーネ文明の滅亡

ミケーネ文明は、前1200年頃に突然、滅亡しました。

その原因として、海の民の侵入説やギリシア系ドーリア人の侵略説などが唱えられています。

暗黒時代 ― 鉄器の普及

ミケーネ文明の崩壊後、ギリシアは約400年間、混乱の時代を迎えることになります。この時代は、文字の記録が残っていないため、暗黒時代と呼ばれています。

また、この時代に青銅器文明が衰退し、鉄器が普及したため、初期鉄器時代ともいわれます。

ポリスの形成へ

暗黒時代を経た後、ギリシアの各地でポリス(都市国家)が形成され、民主政が発展するようになります。

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