前154年 呉楚七国の乱

漢の景帝
漢の景帝
語呂合わせ

以後、(前154)け郡県制、呉楚七国の乱

呉楚七国ごそしちこくの乱は、呉王ごおうを中心とした7カ国の王が、かん景帝けいていに対して起こした反乱です。

漢の景帝は、漢の第6代目の皇帝です。景帝の末裔にしょくを建国した劉備りゅうびがいます。

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漢の景帝

景帝は、漢の初代皇帝・劉邦りゅうほうの孫にあたる第6代皇帝です。

景帝の治世は、父・文帝ぶんていの安定した政治を引き継ぎ、経済の回復や民政の安定に努めた時代とされています。

しかし、一方で強大化した地方の諸王を抑える必要に迫られていました。

景帝の領土削減政策

漢の高祖 劉邦りゅうほうが亡くなり、皇帝と諸王との血縁関係は次第に薄くなると、諸王は独立の動きを強めました。

この動きに警戒した漢の景帝は、諸王の領土削減を図ろうとしました。

これにより、特に広大な領土を持っていた呉王が強く反発しました。

呉楚七国の乱

景帝の領土削減政策に反発した呉王ら7カ国の王が、反乱を起こしました。

これを呉楚七国の乱といいます。

漢の景帝は、迅速に対応し、反乱はわずか3ヶ月で鎮圧されました。

この結果、反乱に加担した諸王の領地は、大幅に削減されます。

事実上の郡県制に

呉楚七国の乱の鎮圧後、漢の支配体制はより中央集権化され、諸侯王の力は大きく制限されました。

そして、次の武帝ぶていの時代に事実上の郡県制ぐんけんせいに移行することになります。

漢の武帝は、漢の第7代目の皇帝です。

この時代に興味を持つために ― 漫画『史記』

横山光輝の漫画「史記」は、古代中国の歴史を描いた作品で、特に「史記 第15巻」は、呉楚七国の乱を学んでいる人におすすめです。乱の背景にある諸侯の不満や、中央政府との対立が表現されており、当時の状況を深く理解する手助けになります。この巻は知識を深めるだけでなく、物語としても楽しめる一冊です!

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