語呂合わせ
一派さかえ(前1830)る、バビロン第1王朝の建国
セム語系遊牧民のアムル人(アモリ人)がバビロン第1王朝(古バビロニア王国)を建国しました。
都は、バビロンに置きました。
この記事では、バビロン第1王朝の興亡について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
目次
アムル人の台頭
バビロン第1王朝の成立は、アッカド王国やウル第3王朝が衰退し、メソポタミア地域に多数の都市国家が分立した時代に起こりました。
バビロン第1王朝を建国したのはアムル人というセム語系の民族で、彼らは遊牧民から定住し、メソポタミア各地に小王国を築いていました。
その中でバビロンが勢力を伸ばして王朝の中心となりました。
ハンムラビ王 ― 全メソポタミアを再統一
第6代目の王ハンムラビは、全メソポタミアを再統一し、広大な領土を築きました。
彼は「ハンムラビ法典」を編纂したことでも知られています。
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ハンムラビの統治下でバビロンは政治、経済、文化の中心地となり、メソポタミア全域を支配する大国へと成長しました。
バビロン第1王朝の衰退と滅亡
ハンムラビの死後、後継者たちは王国を維持することができず、次第に弱体化しました。
最終的にバビロン第1王朝は、ヒッタイトによる攻撃を受けて滅亡しました。
バビロン第1王朝の滅亡後、メソポタミアはミタンニ王国とカッシート王国に二分されました。
関連年表
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| 年号 | 出来事 |
|---|---|
| 前3000年頃 | シュメール人の都市国家 |
| 前2500年頃 | ウル第1王朝の成立 |
| 前2300年頃 | アッカド王国のメソポタミア統一 |
| 前2100年頃 | ウル第3王朝の成立 |
| 前1830年 | バビロン第1王朝(古バビロニア王国)の建国 |
| 前1792年 | ハンムラビ王の即位 |
| 前1700年頃 | ヒッタイト王国の成立 |
| 前1595年頃 | バビロン第1王朝がヒッタイトの侵入で滅亡 |
