前202年 垓下の戦い

項羽
西楚の覇王 項羽
語呂合わせ

ツレに(前202)期待、垓下の戦い

垓下がいかの戦いは、農民出身の劉邦りゅうほうと楚の名門出身の項羽こううとの最終決戦です。

劉邦が勝利し、かん前漢ぜんかん)を建国しました。

前202年は、第2回ポエニ戦争のザマの戦いが起こった年と同じです。

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陳勝・呉広の乱で頭角を現す

陳勝・呉広の乱(前209年)は、秦の始皇帝の死後に起こった大規模な反乱です。

項羽は、叔父の項梁と共に反乱に加わり、その武勇で名を上げました。

劉邦は、最初は小さな勢力を率いていましたが、次第に勢力を集め、反乱軍の指導者の1人となりました。

鴻門の会

劉邦が、項羽より先に咸陽に到達し秦を降伏させると、両者は対立するようになりました。

鴻門の会は、項羽と劉邦の間で行われた和平交渉の会合です。

項羽の部下が劉邦を暗殺しようとしましたが、劉邦の側近の機転により危機を脱することができました。

楚漢戦争 ― 項羽と劉邦の戦い

鴻門の会の後、両者の対立はさらに激化し、ついに項羽の率いると劉邦の率いるの間で戦争が勃発しました。

これを楚漢戦争といいます。

戦争は、項羽が当初有利でしたが、劉邦は人望と同盟を駆使して、次第に有利な状況を築きました。

垓下の戦い ― 劉邦が項羽を下す

垓下の戦いは、楚漢戦争の最終決戦です。

劉邦の軍は、項羽の軍を四方から包囲し、項羽の軍の士気を低下させました。

項羽は、この戦局で敗北を悟り、わずかな手勢と共に包囲を突破しました。

その後、戦いの中で、敗死しました。

項羽を下した劉邦は、漢王朝を開き、初代皇帝(高祖)につくことになります。

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