前202年 ザマの戦い

ザマの戦い
象の部隊を率いるハンニバル軍。
語呂合わせ

痛烈(前202)な一撃、ザマの戦い

第2回ポエニ戦争第二次ポエニ戦争ハンニバル戦争)の終盤、ローマは大スキピオ(スキピオ・アフリカヌス)の指揮のもと、カルタゴ本国に反撃を開始しました。

かつてカンネーの戦い(カンナエの戦い)でローマを壊滅させたハンニバルは、本国防衛のためイタリア半島から帰還します。

しかし、前202年のザマの戦いでスキピオに敗れ、カルタゴは決定的な打撃を受けました。

前202年は、垓下がいかの戦い前漢ぜんかんの建国の年としても有名です。

この記事では、ザマの戦いについて整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。

目次

第2回ポエニ戦争、反撃するローマ

カンネーの戦いで壊滅するローマ軍
カンネーの戦いで壊滅するローマ軍

アルプス越えを敢行したハンニバルに奇襲されたローマは、カンネーの戦いカンナエの戦い)で大敗北を喫します。

スキピオの抜擢

その後、ローマは、若年ながら実力と人気のあるスキピオ執政官コンスル)に抜擢し、反撃の準備を整えます。

執政官(コンスル)とは、国政全般を主導するローマの最高官職のことです。

カルタゴ本国への逆襲

スキピオは、イタリア半島でのハンニバルとの消耗戦を避け、カルタゴ本国を強襲しました。

当時、ハンニバルは、イタリア半島に侵入し、ローマに対する軍事的な脅威になっていました。

ザマの戦い ― ハンニバルを撃破

ザマの戦い
ハンニバルの戦象

その後、イタリア半島からカルタゴへ戻ってきたハンニバルをザマで迎え撃ちます。

この戦いを、ザマの戦いといいます。

ハンニバルは、「象の部隊(戦象)」を戦場に投入しましたが失敗し、混乱した象が自軍(カルタゴ側)を踏み荒らす結果になります。

また、スキピオは、以前、カンネーの戦い(カンナエの戦い)でローマが殲滅されたのと同じ包囲戦術を用いてハンニバルを打ち破りました。

スキピオ、「アフリカヌス」の尊称を得る

ザマの戦いの勝利により、スキピオは「アフリカヌス」という名を得て、ローマの英雄となりました。

カルタゴ、全海外領土を失う

カルタゴは、ザマの戦いで敗北した結果、全ての海外領土を失い、多額の賠償金も払うことになりました。

その後、カルタゴは滅亡への道を辿ることになります。

この時代に興味を持つために ― 漫画『アド・アストラ』

カンネーの戦い(カンナエの戦い)のページでも、ご紹介したカガノミハチの漫画『アド・アストラ』が、やはりおすすめです。第二次ポエニ戦争を背景に、カルタゴの将軍ハンニバルとローマの英雄スキピオの対決が緻密に描かれています。ザマの戦いは12巻で描かれています。

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