戦国七雄の一国、秦の国王である政が他の六国を征服し、中国を統一しました。
目次
始皇帝 ― はじめて王の上に立つ者
秦王 政は、中国の統一後、「王」よりも高い称号として「皇帝」という称号をつくりました。政は初めて皇帝という称号を使ったため、始皇帝と呼ばれます。
皇帝とは、煌々たる帝王という意味です。
郡県制を全国に拡大
始皇帝は、法家の李斯の意見を取り入れ、商鞅の時代に秦で導入された郡県制を中国全土に拡大させました。
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全国を36郡に分け、郡をさらに県に分けて郡守・県令といった地方長官を派遣し治めさせました。
しかし、急激な郡県制の強行は、各地の反発を招くことになります。
また、郡県制は、アケメネス朝ペルシアのサトラップ制に似た制度でした。
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度量衡の統一
度量衡(長さ・体積・重さの単位)を秦の単位に統一させました。
度量衡の「度」は長さ、「量」は体積、「衡」は重さを表します。
半両銭 ― 貨幣の統一
戦国時代に各国で作られていた青銅貨幣を、秦の半両銭に統一させました。
小篆 ― 文字の統一
皇帝の命令を全国に共通して送れるようにするため、文字を小篆に統一させました。小篆は、殷の時代からあった篆書が簡略化されたものです。
阿房宮 ― 咸陽の大宮殿
都の咸陽に、阿房宮という巨大な大宮殿を建設しました。東京ドーム約2個分の広さがあったといわれています。
阿房宮は、後に項羽によって焼き払われました。
驪山陵 ― 始皇帝の陵墓
始皇帝は、自身の陵墓である驪山陵を生前から造営を始めていました。
ここには、巨大な地下宮殿も建設され、兵馬俑(実物大の兵士や馬の人形)も出土しています。
兵馬俑は、世界遺産に登録されています。
焚書坑儒 ― 思想弾圧政策
始皇帝の政策に対する批判を防ぐことを目的として、農業・医学・占い以外の書物を焼かせ(焚書)、儒者など皇帝を批判した学者を生き埋めに(坑儒)しました。これを焚書・坑儒といいます。
万里の長城 ― 匈奴の侵入への備え
北方で強大化した匈奴に対抗するため、将軍の蒙恬に30万の兵を与え撃退させました。その後、戦国時代に築かれていた長城をつなげ、万里の長城と呼ばれる防壁を築きました。
万里の長城は、4000 kmもあったといわれています。
南海郡など3郡を設置
始皇帝は、南方に軍を進め、現在の広東省から北ベトナムにいたるまでの地域にいた百越を征服し、南海郡、桂林郡、象郡の3郡を設置しました。
始皇帝の死後、秦の武将 趙佗が南越国王として独立します。南越は、のちに漢の武帝に滅ぼされることになります。
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この時代に興味を持つために ― 漫画『キングダム』
始皇帝について学んでいるなら、ぜひ漫画「キングダム」を読んでみてください。この作品は、若き秦王・政(後の始皇帝)と、彼を支える主人公・信の物語です。信は天下の大将軍を目指す農民出身の少年で、政の理想を実現するために命をかけて戦います。信と政が中国統一を目指す姿は、歴史をより深く、感動的に感じさせてくれるはずです。