語呂合わせ
西の果(前248)て、パルティアの建国
イラン系遊牧民のパルニ族の族長アルサケスは、セレウコス朝シリアから独立し、アルサケス朝パルティア(パルティア、安息)を建国しました。
パルティアの成立 ― セレウコス朝シリアからの独立
アケメネス朝ペルシアがアレクサンドロス大王により滅亡させられ、さらにアレクサンドロス大王が病死すると、イランはセレウコス朝シリアの支配下に置かれました。
その後、セレウコス朝シリアの勢力が弱まると、各地で自立の動きが起こりました。
そんな中、カスピ海の南東で独立したのが、パルティア王国です。
カルラエの戦い ― クラッススを敗死させる
前53年、ローマの三頭政治の一角を担っていたクラッススが、東方遠征を実施。
彼はパルティアを攻撃し、名声と財産を得ようとしました。
しかし、パルティアンショット(退却するふりをしながら後方へ弓を射る戦法)によって、ローマ軍は撃退されました。
クラッススは、この戦いで敗死しています。
パルティアの滅亡
王族間の権力争いの中で、ペルシア地方で台頭したササン朝ペルシアによって滅ぼされました。
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