前3000年頃 エジプト第一王朝の成立

ピラミッド
ピラミッド
語呂合わせ

燦然さんぜん(前3000)と輝く、エジプト文明

エジプト第一王朝は、古代エジプトの最初の王朝です。かみエジプトとしもエジプトが統一してできた史上初の王朝です。

この記事では、エジプト文明について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。

目次

上エジプトと下エジプトとは

古代エジプトにおいて、ナイル川の上流にある地域がかみエジプト、下流にある地域がしもエジプトと呼ばれていました。2つ合せて上下かみしもエジプトといいます。

閉鎖的な地形

サハラ砂漠
サハラ砂漠

エジプトは、周囲が砂漠に囲まれ外敵が少ない「閉鎖的な地形」であるという特徴があります。このため、安定的な文明を築くことができました。これは、同時期に発展したメソポタミアが「開放的な地形」であるのと対照的です。

エジプトはナイルのたまもの

ナイル川
ナイル川

エジプトではナイル川の上流から運ばれてくる肥沃な土壌を利用した農業が発展しました。そのため、古代ギリシアの歴史学者ヘロドトスは、その著書「歴史」の中で「エジプトはナイルのたまもの」と記しました。

集落「ノモス」の誕生

農業生産力が向上するとともに、ノモスと呼ばれる集落・小国家が形成されました。そして、上エジプトと下エジプトに複数のノモスを支配した王朝が成立しました。

上エジプトでは22のノモスが、下エジプトには20のノモスがあったと言われています。

メネス王による上下エジプトの統一

上エジプトと下エジプトという2つの王朝は長らく対立していました。そこに現れたのが上エジプトの伝説的な王、メネス王です。

エジプト第一王朝の成立

上エジプトのメネス王は、強力な軍隊を率いて下エジプトを征服し、上下エジプトを統一しました。これをエジプト第一王朝といいます。

都はメンフィスに置かれました。メンフィスは上エジプトと下エジプトの中間地点にあり交通の要衝として重要な地域だったためです。

エジプト第一王朝は約200年間続き、8代目の王の死後、謎に包まれた滅亡を迎えます。

神の化身 ファラオ

古代エジプトの王のことをファラオといいます。ファラオは、古代エジプトの人々にとって神の化身であり、政治、宗教、軍事など、すべての権力を持っていました。

ファラオは、太陽神ラーの子であるとされていました。

エジプトの政治体制は、メソポタミアの王が、「神の代理人」として政治を行っていたのとは対象的です。

エジプト人の文化

エジプト人は、ヒエログリフ、太陽暦、ミイラ、死者の書などを作りました。

ヒエログリフ ― 神聖文字

ヒエログリフ
ヒエログリフ

ヒエログリフ神聖文字)は、古代エジプトの象形文字で神殿や墓に刻まれました。公文書などに使用されたヒエラティック神官文字)、筆記体のデモティック民用文字)もありました。

ロゼッタ=ストーン

ヒエログリフは、フランス人のシャンポリオンによってロゼッタ=ストーンから解読されました。

太陽暦

太陽暦は、地球の公転に基づく暦です。ナイル川の増水の正確な時期を知るために季節と暦のずれがない太陽暦が用いられました。

ミイラ

古代エジプトでは、太陽神ラーを中心とする多神教でした。来世的な文化で、霊魂の不滅死後の世界が信じられていました。そのため、肉体を乾燥保存したミイラが作られました。

多神教とは、複数の神を信仰する宗教のことです。

死者の書 ― 冥界の案内書

死者の書
死者の書

古代エジプトでは、副葬品として「死者の書」が書かれました。この書には、オシリス神の審判に備えて、死者の生前の行いなどを呪文として記録されています。死者の来世の幸福を祈念して作られました。

オシリス神は、冥界の神でミイラの姿をしています。冥界とは死後の世界のことです。

エジプト王朝の時代区分

エジプト王朝は古王国中王国新王国の3つに区分されます。

古王国時代

古王国時代は、前2686年頃~前2185年頃のエジプト第3~6王朝の時代が該当します。首都はメンフィスに置かれました。

ギザの三大ピラミッド

ギザの三大ピラミッド
ギザの三大ピラミッド(左からクフ、カフラー、メンカウラー)

第4王朝の時代には、ギザの三大ピラミッドが建設されました。これは、クフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドです。最大のものがクフ王のピラミッド世界三大墳墓に数えられています。

地方勢力の台頭

第6王朝末期、地方のノモスが自立しファラオの権力が及ばなくなり、分裂期に突入することになりました。

中王国時代

中王国時代は、前2040年頃~前1782年頃のエジプト第11~12王朝の時代が該当します。首都はテーベに置かれました。

上エジプトのテーベを中心に統一

前2040年頃、上エジプトのテーベを中心にエジプトが統一されました。テーベの守護神であるアメンが最高神とされました。

異民族ヒクソスの侵入

ヒクソス
ヒクソス

異民族のヒクソスの侵入を受けて衰退しました。ヒクソスはアジア系の遊牧民で戦車で下エジプトを征服しました。その後、ヒクソスは第15王朝を興しました。

新王国時代

新王国時代は、前1570年頃~前1070年頃のエジプト第18~20王朝の時代が該当します。首都は中王国時代と同じくテーベに置かれました。エジプトが最も繁栄した時代です。

異民族ヒクソスを追放

エジプト人は戦車を導入してヒクソスを追放し、エジプト全土を統一しました。

トトメス3世の対外進出

トトメス3世
トトメス3世

トトメス3世の時代にはシリアヌビア(現代のスーダン)を征服して古代エジプト史上、最大の領土を獲得しました。

宗教改革「アマルナ革命」

アメンホテプ4世
アメンホテプ4世(イクナートン)

アメンホテプ4世イクナートン)の時代には、神官勢力の排除のため、テーベからアマルナへの遷都といった宗教改革「アマルナ革命」が断行されます。しかし、イクナートンの死によって、この宗教改革は終わりを告げます。

ヒッタイトとの抗争

ラメセス2世
ラメセス2世

ラメセス2世ラメス2世ラムセス2世)の時代には、アナトリアのヒッタイトとの抗争が起こりました。前1286年のカデシュの戦いでは対決するものの決着はつかず、のちにカデシュ条約が結ばれ和睦します。

海の民、襲来

海の民と戦うエジプト人
海の民と戦うエジプト人

その後、地中海から「海の民」が侵入し、エジプトは衰退していきました。

海の民は、民族系統不明の海洋民族です。

関連年表

エジプト第一王朝の成立からプトレマイオス朝エジプトの滅亡までの歴史は、次の通りです。

スクロールできます
年号出来事
前3000年頃エジプト第一王朝の成立(上下エジプトの統一)
前2686年頃エジプト古王国の成立
前2560年頃クフ王のギザの大ピラミッドが完成
前2040年頃エジプト中王国の成立
前1700年頃異民族ヒクソスの侵入
前1550年頃エジプト新王国の成立
前1504年トトメス3世の親征
前1379年アメンホテプ4世がアマルナへ遷都
前1333年ツタンカーメンの即位
前1286年カデシュの戦い
前663年アッシリアがエジプトを征服する
前612年アッシリアが滅び、四王国に分裂する
前525年アケメネス朝ペルシアがエジプトを征服する
前332年アレクサンドロス大王がエジプトを占領
前305年プトレマイオス朝エジプトの成立
前31年アクティウムの海戦
前30年プトレマイオス朝エジプトの滅亡
目次