些細(前331)な痛手で、アルベラの戦い(ガウガメラの戦い)
イッソスの戦いに勝利したアレクサンドロス大王(アレクサンドロス3世)は、アケメネス朝ペルシアの王 ダレイオス3世をアルベラ近郊のガウガメラ平原で起こったアルベラの戦い(ガウガメラの戦い)で破りました。
この記事では、アルベラの戦い(ガウガメラの戦い)について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
メソポタミアへ迫るアレクサンドロス
前333年のイッソスの戦いで勝利したアレクサンドロスは、地中海東岸を制圧し、さらにエジプトを征服してファラオとして迎えられました。そしてついに、ペルシア本土ともいえるメソポタミアへと進軍します。

アケメネス朝ペルシアの総力を結集
アケメネス朝ペルシアの王ダレイオス3世は、帝国全土から兵を召集し、約20万の大軍を編成しました。決戦の地として選ばれたのは、アルベラ近郊のガウガメラ平原。
一方のアレクサンドロス軍は、約5万の精鋭兵を率いるにすぎませんでしたが、その練度と統率力ではペルシア軍を大きく上回っていました。
アルベラの戦い(ガウガメラの戦い)
ダレイオス3世は、広大で平坦なガウガメラ平原に陣を構え、アレクサンドロス軍を待ち受けました。この地形は、数に勝るペルシア軍と鎌付き戦車を最大限に活かすために選ばれたものでした。
ダレイオス3世の本陣を正面突破
戦闘が始まると、アレクサンドロスは、ペルシア軍のバクトリア騎兵を引き付けつつ、中央のダレイオス3世の本陣を直接攻撃します。また、ペルシア軍の鎌付き戦車も、マケドニア兵の弓矢攻撃によって御者が倒され、ほとんど威力を発揮できませんでした。
ダレイオス3世、再び逃亡

マケドニア騎兵隊が本陣に迫ると、ダレイオス3世は戦場を離脱しました。その途端、ペルシア軍全体が動揺し、総崩れとなりました。こうして、アレクサンドロスは決定的な勝利を収めたのです。
バビロンへの入城
勝利したアレクサンドロスは、アケメネス朝ペルシアの中心都市バビロンに入城しました。
一方、逃亡したダレイオス3世は、中央アジアのバクトリア地方で再起を図ろうとしました。しかし、この戦いでペルシア帝国の軍事力は事実上崩壊し、帝国滅亡は時間の問題となりました。

