語呂合わせ
散々、破(前338)る、カイロネイアの戦い
カイロネイアの戦いは、マケドニアのフィリッポス2世がアテネ・テーベ連合軍を破った戦いです。
前334年 アレクサンドロス大王の東方遠征
語呂合わせ さぁさぁ出(前334)発、アレクサンドロス大王の東方遠征 アレクサンドロス大王の東方遠征は、前334年のグラニコス川の戦いから始まりました。 グラニコス川…
目次
マケドニアのフィリッポス2世
マケドニア王国は、ギリシア北方のドーリア系部族国家です。王政の政治体制を取っていたため、民主政のアテネ人からは、「バルバロイ(蛮族)」と呼ばれていました。
フィリッポス2世は子供時代にエパメイノンダスのいるテーベに人質として送られ、そこでファランクス(重装歩兵による密集隊)の戦術を学んだといわれています。
前371年 レウクトラの戦い
語呂合わせ 皆い(前371)い斜線陣、レウクトラの戦い エパメイノンダス率いるテーベ(テーバイ)は、レウクトラの戦いでスパルタを破り、ギリシアの覇権を握りました。…
帰国後に王に即位すると、常備軍を整え国力を増強しました。
和平派イソクラテスと主戦派デモステネスの対立
マケドニアが台頭すると、アテネでは和平派のイソクラテスと主戦派のデモステネスが対立しました。アテネでは主戦派が主流になり、マケドニアに宣戦し、テーベと同盟し、マケドニアと戦うことになります。
カイロネイアの戦い ― マケドニアがギリシアの覇権を握る
マケドニアは、アテネとテーベの連合軍に圧勝し、ギリシアの覇権を握りました。
コリントス同盟 ― マケドニアがギリシアの盟主となる
カイロネイアの戦いの翌年の前337年、フィリッポス2世は、スパルタを除く全ギリシアのポリスからなるコリントス同盟(コリント同盟、ヘラス同盟)を結成し、マケドニアがその盟主となりました。
フィリッポス2世は、コリントス同盟の会議でペルシア遠征の計画を発表し、支持を受けました。
フィリッポス2世、暗殺される
ペルシア遠征の準備を始めたフィリッポス2世でしたが、娘の結婚披露宴で護衛に突如、暗殺されました。
ペルシア遠征は、子のアレクサンドロスに引き継がれることになります。
前334年 アレクサンドロス大王の東方遠征
語呂合わせ さぁさぁ出(前334)発、アレクサンドロス大王の東方遠征 アレクサンドロス大王の東方遠征は、前334年のグラニコス川の戦いから始まりました。 グラニコス川…