前43年 第2回三頭政治

オクタウィアヌス、アントニウス、レピドゥス
左からオクタウィアヌス、アントニウス、レピドゥス
語呂合わせ

市民(前43)のための、第2回三頭政治

覚え方

『案を送れ』(第2回三頭政治のメンバー)

案=アントニウス

送=オクタウィアヌス

れ=レピドゥス

カエサルの養子であったオクタウィアヌス、カエサルの腹心であったアントニウスレピドゥスは、第2回三頭政治を成立させました。

この記事では、第2回三頭政治について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。

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目次

第2回三頭政治の成立

元老院への復讐を誓うアントニウス

カエサル暗殺後、ローマでは後継者争いが激しくなりました。

側近のアントニウスは、民衆の支持を得るため、カエサルの遺体を広場に運び、元老院への復讐を訴えました。

オクタウィアヌスの登場

オクタヴィアヌス
カエサルの養子 オクタウィアヌス

カエサルの遺言状には後継者として、19歳の養子オクタウィアヌスが指名されていました。

アントニウスと対立しましたが、両者は最終的に和解し、レピドゥスも加わって第2回三頭政治が成立しました。

オクタウィアヌスは、カエサルの姉の孫にあたる人物です。

キケロの最期

キケロの最期
キケロの最期

文人政治家のキケロは、共和政を守ろうとした共和派で、カエサルの独裁に対しても批判的な立場を取っていました。

カエサル暗殺後は、アントニウスがカエサルの遺志を継ぐ独裁者になることを恐れ強く批判し、これを恨んだアントニウスによって、前43年に暗殺されました。

ローマ最大の文章家

キケロは、ローマ最大の文章家といわれ、『国家論』や『友情論』を書きました。

共和派ブルートゥスらの討伐

フィリッピの戦いの後のブルートゥス
戦いに敗れたブルートゥスたち

第2回三頭政治の成立後、カエサル暗殺の首謀者であるブルートゥスとカッシウスら共和派を追討し、前42年、フィリッピの戦いで2人を破りました。

勢力圏の分割

オクタウィアヌスは西方、アントニウスは東方、レピドゥスは北アフリカを管轄することになりました。

レピドゥスの失脚と三頭政治の崩壊

レピドゥス
アントニウスとオクタウィアヌスに威圧されるレピドゥス(右)

その後、レピドゥスは失脚し、オクタウィアヌスとアントニウスの対立が激しくなりました。

その対立は、のちのアクティウムの海戦へとつながっていきます。

理解を深めるQ&A

よくある質問を通して、学びをさらに深めよう!

第2回三頭政治は、なぜ成立したの?

カエサル暗殺後の政治的混乱を収拾し、暗殺者である共和派を討つためです。

第2回三頭政治のメンバーは誰?

アントニウス、オクタウィアヌス、レピドゥスの3人です。

語呂合わせで以下のように覚えます。

覚え方

『案を送れ』(第2回三頭政治のメンバー)

案=アントニウス

送=オクタウィアヌス

れ=レピドゥス

レピドゥスはどんな人物ですか?

カエサルの部下として活躍した人物です。

第2回三頭政治の成立後は、オクタウィアヌスと対立し失脚しました。

この時代に興味を持つために ― 『マンガ ローマ帝国の歴史』

さかもと未明の漫画『マンガ ローマ帝国の歴史』は、ローマ史を学んでいる方におすすめの漫画です。2巻では、主人公のアウグストゥスの生涯が綿密な人物描写や心理描写と共にに描かれています。カエサル暗殺後の第2回三頭政治、アントニウスとの対立、そして元首政までの流れが、よく理解できるようになるでしょう。

関連年表

ローマ建国から共和政ローマの終焉までの歴史は、次の通りです。

スクロールできます
年号出来事
前2000年頃クレタ文明の成立(クレタ島を中心に青銅器文明が成立)
前1450年ミケーネ文明の成立(ペロポネソス半島に青銅器文明が成立)
前753年ローマ建国
前509年共和政ローマ
前494年聖山事件
前450年十二表法の制定
前367年リキニウス・セクスティウス法の制定
前287年ホルテンシウス法の制定
前272年ローマのイタリア半島統一
前264年第1回ポエニ戦争(第1次ポエニ戦争)
前218年第2回ポエニ戦争(第2次ポエニ戦争)
前216年カンネーの戦い(カンナエの戦い)
前202年ザマの戦い
前149年第3回ポエニ戦争(第3次ポエニ戦争)
前133年グラックス兄弟の改革
前107年マリウスの兵制改革
前91年同盟市戦争
前82年スラの独裁政治
前73年スパルタクスの反乱
前60年第1回三頭政治
前58年ガリア遠征
前44年カエサル暗殺
前43年第2回三頭政治
前31年アクティウムの海戦
前27年オクタウィアヌスの元首政(プリンキパトゥス)
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