語呂合わせ
汚れ(前450)清める、十二表法
語呂合わせ
『自由に力説、ホルテンシウス』(共和政ローマの法律の順番)
自由に = 十二表法(前450年)
力説 = リキニウス・セクスティウス法(前367年)
ホルテンシウス = ホルテンシウス法(前287年)
十二表法は、ローマ初の成文法です。
これまで口伝えで扱われていた慣習法を12枚の銅板に刻んで成文化しました。
これにより、貴族による法知識の独占が打破され、ローマの法制度に大きな転機をもたらしました。
この記事では、十二表法の背景や内容を整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
目次
貴族だけが知る「不透明な法」
共和政ローマの初期、法律は貴族(パトリキ)だけが把握していました。
そのため、政治や裁判は貴族の思うままであり、平民(プレブス)は理不尽な判決を受けても反論の手段を持たない状態でした。
こうした不公平により、貴族と平民の対立(身分闘争)はいっそう深まっていきます。
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平民が求めた「法の公開」
やがて平民たちは、自分たちにも法を知る権利があると主張し始めました。
貴族たちもその要求を無視できなくなり、法を文字で記し、公開する動きが進みます。
こうして、法の透明化を求める運動が本格化しました。
十二表法 ― ローマ初の成文法

前450年、こうした流れの中で制定されたのが十二表法です。
これはローマ初の成文法であり、広場(フォロ・ロマーノ)に掲示され、市民すべてに公開されました。
これにより、「法は全ての市民に平等に適用される」という原則が芽生え始めます。
それでも残った課題
十二表法の制定によって、平民の法的地位は一定の向上を見せました。
しかし、貴族と平民の間の格差が完全に解消されたわけではありません。
たとえば、貴族と平民の結婚は禁止されたままであり、真の平等社会の実現にはまだ時間がかかりました。
