視野を(前480)広げて、サラミスの海戦
サラミスの海戦は、第3回ペルシア戦争において、アテネの将軍テミストクレスがアケメネス朝ペルシアのクセルクセス1世をサラミス湾で打ち破った戦いです。
この記事では、第3回ペルシア戦争(サラミスの海戦)について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
サラミス湾に迫るペルシア軍

テルモピレーの戦いでスパルタを破ったアケメネス朝ペルシアのクセルクセス1世は、アテネへと進軍しました。アクロポリスを火の海にしつつ、アテネ市民が避難したサラミス島へと迫ります。

この絶体絶命の状況で、アテネの将軍テミストクレスは、ある策略を仕掛けることになります。
テミストクレスの先見性

Rijksdienst voor het Cultureel Erfgoed, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
テミストクレスの作戦の発端は、アテネ市民がマラトンの戦いの勝利で湧く頃にさかのぼります。
市民たちが歓喜に包まれていた中、ただ一人テミストクレスだけはアケメネス朝ペルシアの再来を予見していました。そのときに備えてアテネの海軍力を強化する計画を進めていたのです。
三段櫂船の建造

Model of a greek trireme, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
テミストクレスが進めた海軍力の強化は、
ラウレイオン銀山の活用
ちょうどその頃、アテネ領内のラウレイオン銀山で大量の銀が発見されます。テミストクレスは、この貴重な銀の収益を市民に分配する代わりに、三段櫂船の建造に充てるよう説得しました。
この三段櫂船は、高速で機動性に優れ、狭い海域での戦闘に最適な構造を持っていました。そして後に、ペルシア軍との海戦で決定的な役割を果たすことになるのです。
第3回ペルシア戦争 ― サラミスの海戦
ペルシアの艦隊が迫る中で、アテネの将軍テミストクレスは一計を案じ、アケメネス朝ペルシアのクセルクセス1世の元へスパイを派遣します。
テミストクレスの罠
テミストクレスは、スパイに「ギリシア艦隊は、ペルシアの大軍を前に今にも退却しようとしている」と偽情報を伝えさせたのです。これを信じたクセルクセス1世は、巨大な艦隊を狭いサラミス湾へと進めました。
それこそがテミストクレスの仕掛けた罠だったのです。
サラミス湾での逆転劇
テミストクレス率いるギリシア艦隊は、退却すると見せかけてペルシア軍をサラミス湾の奥深くへと誘い込みます。そして、合図とともに一斉に反転。狭い海域で身動きの取れないペルシア艦隊を三段櫂船が側面から攻撃しました。
機動力に優れた三段櫂船は巧みに立ち回り、次々とペルシア艦隊を撃沈していきました。やがてペルシア軍は大混乱になり、大敗を喫しました。
無産市民の活躍

この海戦で、三段櫂船の漕ぎ手として重要な役割を果たしたのが、無産市民です。
財産を持たず武器を買うことができない無産市民は、これまで政治参加から遠ざけられていました。しかし、この海戦では、無産市民が、武器が必要ない船の漕ぎ手として活躍したのです。
無産市民が参政権を獲得
この活躍がきっかけで、アテネの無産市民の参政権獲得が進むことになります。
サラミスの勝利は、単なる軍事的勝利にとどまりませんでした。戦いを通じて、市民すべてが国家の力を支えるという意識が芽生え、アテネでは直接民主政が大きく発展する契機となりました。
戦争が政治を動かした――。サラミスの海戦は、アテネ民主政の成立を理解するうえで欠かせない重要な転換点なのです。
陸軍での逆転を狙うペルシア
サラミスの海戦で大敗を喫したアケメネス朝ペルシアのクセルクセス1世は、補給の問題や冬の到来を理由に、本隊の大部分を率いてペルシア本国へ撤退しました。
しかし、ギリシア征服の望みを完全には捨てず、将軍マルドニオスに約4万の陸軍を託してギリシアに残しました。海上では敗れたペルシアでしたが、陸上での逆転を狙い、再び戦いの機会をうかがっていたのです。

テミストクレスのその後
サラミスの海戦の英雄テミストクレスは、戦後の権力争いに敗れ、陶片追放によってアテネを追われました。のちにアケメネス朝ペルシアに亡命し、異国の地で生涯を終えました。
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