労に答(前625)える、新バビロニアの建国
ナボポラッサルは、アッシリアから独立を果たし、新バビロニア王国(カルデア王国)を建国しました。
この記事では、新バビロニア王国の興亡について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
アッシリア帝国の崩壊

アッシリアの最盛期を築いたアッシュル=バニパルの死後、政治的に不安定な状況が生まれました。
ナボポラッサルは、この隙をつきアッシリアから独立を果たします。
その後、メディア王国と同盟を組み、アッシリアの首都ニネヴェを陥落させました。

四王国時代

前612年、ニネヴェの陥落によりアッシリアが滅亡すると、四王国時代が到来します。
オリエント世界は、エジプト、リディア、新バビロニア(カルデア)、メディアの4つの国に分裂することになるのです。
エジプト
エジプトでは、アッシリアの支配を脱した後、エジプト人による第26王朝が栄えました。
リディア
リディアは、アナトリア(現在のトルコ)に建国されました。都はサルデスです。
エーゲ海の通商路を持っていたため豊かな国でした。世界最古の鋳造貨幣が使用されたことで有名です。
新バビロニア(カルデア)
新バビロニア(カルデア)は、アッシリアから独立してできた国です。2代目のネブカドネザル2世の時に最盛期を迎えます。
メディア
メディアはイラン高原に建国されました。イラン人が建てた最初の国家です。のちにペルシア人が独立してアケメネス朝ペルシアが建国されます。

新バビロニアの建国
新バビロニア(カルデア)は、カルデア人のナボポラッサルがアッシリアから独立して建国した国です。
ネブカドネザル2世が最盛期を築く

新バビロニア王国の最盛期は、ナボポラッサルの息子のネブカドネザル2世の時代に訪れます。
バビロンの空中庭園やイシュタル門の建設、バビロン捕囚を行ったことで有名です。
バビロンの空中庭園
ネブカドネザル2世は、故郷を懐かしむ妻アミュティスを慰めるためにバビロンの空中庭園を作ったといわれています。
妻のアミュティスは緑が豊かなメディア出身でしたが、バビロンは乾燥した大地が広がる土地でした。
そこで、故郷の山々を模した壮大な庭園を建設したとされています。
イシュタル門

ネブカドネザル2世は、鮮やかな青いレンガで覆われてるイシュタル門を建設しました。各地から集まってくる隊商がここを通ったとされます。
バビロン捕囚

ネブカドネザル2世は、ユダ王国を征服し、多くのユダヤ人をバビロンへ連行しました。
この出来事は「バビロン捕囚」として聖書にも記録されています。

新バビロニアの滅亡

新バビロニアは、ネブカドネザル2世の死後、内政が不安定となり、徐々に弱体化しました。
最終的には、アケメネス朝ペルシアのキュロス2世によって征服され、新バビロニアは終わりを迎えました。

関連年表
新バビロニア(カルデア)の建国から滅亡までの歴史は、次の通りです。
年号 | 出来事 |
---|---|
前625年 | アッシリアからカルデア(新バビロニア)が独立 |
前612年 | 四王国時代の始まり(アッシリアの滅亡) |
前587年 | カルデア(新バビロニア)がユダ王国を滅ぼす |
前586年 | バビロン捕囚 |
前550年 | アケメネス朝ペルシアの建国 |
前546年 | アケメネス朝ペルシアがリディアを滅ぼす |
前539年 | アケメネス朝ペルシアがカルデア(新バビロニア)を滅ぼす |