波(前73)となる、スパルタクスの反乱
スパルタクスの反乱は、ローマで発生した剣闘士スパルタクスによる大規模な奴隷反乱です。
奴隷解放を求めて戦いましたが、クラッススとポンペイウスによって鎮圧されました。
この記事では、スパルタクスの反乱について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
スラの後継者 ポンペイウス
閥族派のスラは、同盟市戦争での功績を背景に政権を握り、平民派マリウス派を武力で排除して終身独裁官となり、元老院中心の政治体制を強化しました。

スラの死後、その後継的存在として急速に頭角を現したのがポンペイウスです。
彼はスラ派の若手将軍として成功し、ローマ政界に大きな影響力を持つようになりました。
大富豪 クラッスス
同時期に台頭したもう一人の重要人物が、大富豪のクラッススです。
クラッススは、騎士階級(エクイテス)の出身で、スラ政権下の財産没収などを利用して莫大な富を築き、ローマで一番の富豪として政治力を強めていきました。
スパルタクスの反乱
このような中、前73年に南イタリアで剣闘士スパルタクスの反乱が起きます。
脱走した剣闘士に加え、多くの奴隷や貧民が加わり、一時は南イタリアを脅かすほど勢力を拡大しました。
しかし、反乱軍の内部分裂などによって次第にローマ軍が優勢となります。
剣闘士とは

剣闘士は、闘いを見世物とさせられている奴隷のことです。
剣闘士の競技はコロッセウムで行われ、ローマ市民の娯楽として人気がありました。
剣闘士スパルタクス
スパルタクスは、トラキア出身の剣闘士です。
カプアの剣闘士養成所から仲間と共に脱走し、反乱軍の指導者となりました。
その戦闘力と統率力で、反乱は短期間で大規模なものへと発展します。
クラッスス、本隊を殲滅
ローマ側の総司令官となったクラッススは、スパルタクスの本隊を殲滅し、スパルタクスを戦死させました。
捕虜約6000人はアッピア街道沿いに磔にされたといわれています。
ポンペイウス、残党を撃破
クラッススが本隊を殲滅したあと、逃げ延びた反乱軍の残党を、ポンペイウスが撃破しました。
ポンペイウスは、この残党狩りをもって、自分も鎮圧に貢献したと元老院に報告しました。
この手柄を横取りするような発言がクラッススの不興を買い、両者の関係が悪化します。
第1回三頭政治へ
その後、ローマで台頭してきた若手政治家カエサルが敵対していたポンペイウスとクラッススの利害を調整し、三者の協力体制である第1回三頭政治が成立することになります。
スパルタクス反乱の鎮圧は、三頭政治につながる重要な伏線でもあったのです。

