くい(前91)残さず、同盟市戦争
閥族派のスラ(スッラ)は、同盟市がローマ市民権を要求して起こした反乱である同盟市戦争の鎮圧に大きな功績を上げました。
この記事では、同盟市戦争について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
内乱の1世紀
グラックス兄弟の改革の失敗以降、「内乱の1世紀」と呼ばれる混乱期に入りました。
この時代は、閥族派と平民派の対立、政治的暴力の常態化、そして軍の私兵化が進む不安定な時代でした。

こうした中、ローマの同盟市で不穏な動きが生じ始めます。
同盟市とは

同盟市とは、イタリア半島に存在したローマと同盟関係にある自治都市のことです。
同盟市の不満 ― 軍役を負うのにローマ市民権はなし
同盟市は、ローマに対して軍役義務はありましたが、ローマ市民権はありませんでした。
同盟市の住民は、長年ローマを支える役割を果たしてきたにもかかわらず、自分たちの利益が軽視されていると感じていました。
参政権、商取引の権利などを含むローマ市民権を持てないという不満が限界に達し、反乱へと発展します。
同盟市戦争 ― ローマ市民権を求め反乱
前91年、ついに同盟市はローマ市民権を求めて反乱を起こします。
これが同盟市戦争です。
スラによる鎮圧
ローマ軍は当初苦戦しましたが、やがて閥族派のスラが戦局を立て直し、ローマの勝利に終わりました。
この戦争での功績が、のちの「スラの独裁」につながる重要な転機となりました。
閥族派スラ
スラは、閥族派を代表する政治家で、若い頃は平民派のマリウスの副官として活躍し、多くの戦いでローマ軍を勝利へ導きました。
しかし、マリウスとは政治的立場(閥族派 vs 平民派)の違いから激しく対立するようになります。
その後、マリウス派との戦いに勝利し、終身独裁官として元老院中心の政治体制を強化しました。
同盟市はローマ市民権を獲得
ローマは戦いに勝利したものの、同盟市の要求を完全には無視できませんでした。
スラは、妥協策として、イタリア半島全土の同盟市にローマ市民権を拡大することにしました。
こうして、イタリア半島の自由民すべてにローマ市民権が与えられることになりました。
ローマ市民権、その後
属州を含めたローマの全自由民にローマ市民権が与えられるのは、その後ずっと時代が下り、212年のカラカラ帝の「アントニヌス勅令」によって実現します。

内乱はなおも続く
同盟市戦争が収束してもローマの混乱は収まりません。
この後は、剣闘士スパルタクスの反乱が勃発し、内乱の時代はさらに激しさを増していきます。

理解を深めるQ&A
よくある質問を通して、学びをさらに深めよう!
