25年 後漢の建国

光武帝
光武帝
語呂合わせ

復興(25)、後漢の建国

前漢ぜんかん景帝けいていの子孫である劉秀りゅうしゅうは、光武帝こうぶていとして即位し、漢王朝を再興しました。この王朝を後漢ごかんといいます。都は洛陽らくように置かれました。

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光武帝 劉秀 ― 豪族に推戴されて即位

新の滅亡後、劉秀は、豪族の支持で勢力を伸ばし、皇帝(光武帝)として即位し。漢王朝を再興(後漢)しました。後漢は、前漢とは異なり、皇帝の中央集権体制は弱く、豪族連合政権でした。

都は戦乱で荒廃した長安ではなく、洛陽に定めました。

長安は、前漢の都でした。

赤眉の乱を平定 ― 中国を統一

光武帝は、新の末期に起こった農民反乱である赤眉の乱を鎮圧し、中国統一を果たしました。

徴姉妹の反乱 ― ベトナムの反乱を鎮圧

後漢の交趾こうし郡(現在のベトナム北部)で起きた徴姉妹の反乱を鎮圧しました。

徴姉妹は、現在もベトナムの英雄とされています。

倭の奴国の朝貢 ― 金印を授ける

光武帝は、倭の奴国からの朝貢に対して、「漢委奴国王印」という金印を授けました。

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