710年 平城京へ遷都

平城京
平城京
語呂合わせ

南都なんと(710)大きな、平城京へいじょうきょう

平城京へいじょうきょうは、元明げんめい天皇によって造営された都城とじょうです。

藤原京ふじわらきょうから遷都されました。

この遷都によって、奈良なら時代(710-794年)が始まりました。

目次

元明天皇とは

元明天皇
元明天皇

平城京への遷都を行った元明げんめい天皇は、天智てんじ天皇の娘で、夫は草壁皇子くさかべのおうじです。

息子に文武もんむ天皇、娘に元正げんしょう天皇がいます。

文武天皇の没後、孫の首皇子おびとのおうじ(のちの聖武しょうむ天皇)の即位までの中継ぎとして即位しました。

在位中に和同開珎わどうかいちんの鋳造(708年)、平城京への遷都(710年)、古事記こじき(712年)や風土記(713年)の編纂などが行われました。

遷都のきっかけ

遣唐使から、藤原京がとう長安ちょうあんと比べて簡素で儀礼を行う空間として不十分であると伝えれられたことが、平城京へ遷都するきっかけになったと言われています。

平城京

平城京へいじょうきょうは、奈良盆地の北側に造られた都城とじょうです。

唐の長安城がモデル

平城京は唐の長安(現在の西安)をモデルとして設計されました。

長安城ちょうあんじょうは当時世界最大の都市で、人口約100万人を擁する国際都市でした。

平城京はこの長安城を4分の1程度に縮小したものでしたが、それでも東西約4.3km、南北約4.8kmという巨大な都市でした。

条坊制による区画整備

平城京の条坊図
平城京の条坊図

平城京へいじょうきょうは、条坊制じょうぼうせいと呼ばれる碁盤の目状に区画する都市計画制度を採用しました。

南北に朱雀大路すざくおおじが走り、右京うきょう(西側)と左京さきょう(東側)に区切られていました。

  • 朱雀大路:都の中央を南北に貫く幅約74mの大通り
  • 右京:朱雀大路の西側(天皇から見て右側)
  • 左京:朱雀大路の東側(天皇から見て左側)

この配置は天子南面てんしなんめんの思想に基づいています。

天子(天皇)は南を向いて政治を行うため、その視点から左右が決まるのです。

都城制による「宮」と「京」の区別

平城京は都城制とじょうせいにより「きゅう」と「きょう」に明確に分けられていました。

平城宮の復元模型
平城宮(模型)

きゅうは、天皇の住居や政務・儀式を行う区域で、平城宮へいじょうきゅうがこれに相当します。

平城宮には、天皇の居住空間である内裏だいり、儀式を行う大極殿だいごくでん、政務を行う朝堂院ちょうどういんなどがありました。

平城宮の構造は次のとおりです。

  •  内裏:天皇の居住空間
  • 大極殿:重要な儀式を行う建物
  • 朝堂院:日常的な政務を行う場所
  • 各官庁:太政官、民部省、兵部省などの官庁建物

きょうは、民衆の居住区域です。

西市と東市

平城京には西市にしのいち東市ひがしのいちという二つの市場が設置されました。

監督している役所が市司いちのつかさです。

外京

平城京の特徴的な点は外京げきょうの存在です。

左京の東側に張り出した部分で、興福寺こうふくじなどの大寺院が建立されました。

これは長安城にはない日本独自の工夫で、仏教文化の発展に重要な役割を果たしました。

南都六宗

平城京は、仏教文化の中心地として発展しました。

後に平安京遷都後、平安京から見て南に位置することから南都なんととも呼ばれるようになります。

平城京を中心に栄えた仏教の6つの宗派を南都六宗なんとろくしゅうといいます。

南都六宗なんとろくしゅうは、三論宗さんろんしゅう成実宗じょうじつしゅう法相宗ほっそうしゅう倶舎宗くしゃしゅう華厳宗けごんしゅう律宗りっしゅうの六宗派です。

南都七大寺

平城京に建てられた寺院のうち、朝廷の保護を受けた7つの寺院は南都七大寺なんとしちだいじと称されました。

南都七大寺なんとしちだいじは、薬師寺やくしじ東大寺とうだいじ大安寺だいあんじ元興寺がんごうじ西大寺さいだいじ興福寺こうふくじ法隆寺ほうりゅうじを指します。

覚え方

『やっぱり、東大が最高峰』(南都七大寺なんとしちだいじ

や = 薬師寺やくしじ

東 = 東大寺とうだいじ

大 = 大安寺だいあんじ

が = 元興寺がんごうじ

最 = 西大寺さいだいじ

高 = 興福寺こうふくじ

峰 = 法隆寺ほうりゅうじ

薬師寺

薬師寺
奈良時代の薬師寺(模型)

薬師寺やくしじは、天武てんむ天皇の皇后(後の持統じとう天皇)の病気平癒を祈願して建立されました。

薬師寺東塔

薬師寺東塔とうとうは、「凍れる音楽」と称される美しい三重塔です。

東大寺

奈良時代の東大寺の模型
奈良時代の東大寺(模型)

東大寺とうだいじは、華厳宗けごんしゅうの大本山です。

聖武しょうむ天皇により建立され、大仏殿に盧舎那仏(奈良の大仏)が安置されました。

東大寺法華堂

東大寺法華堂ほっけどう三月堂さんがつどう)は、現存する奈良時代建築の代表例です。

大安寺

大安寺
奈良時代の大安寺(模型)

大安寺だいあんじは、聖徳太子の建てた道場に始まります。

藤原京大官大寺だいかんだいじが平城京に移転したもので、平城京遷都時に大安寺となりました。

元興寺

元興寺
奈良時代の元興寺(模型)

元興寺がんごうじは、蘇我馬子が建立した飛鳥寺あすかでらが平城京に移転したものです。

西大寺

西大寺さいだいじは、称徳しょうとく天皇により建立された寺院です。

興福寺

興福寺こうふくじは、法相宗ほっそうしゅうの本山です。

藤原氏の氏寺うじでらとして栄えました。

興福寺仏頭

興福寺仏頭ぶっとうは、日本彫刻史上の名作として知られています。

法隆寺

法隆寺ほうりゅうじは、聖徳太子ゆかりの寺院で、世界最古の木造建築物として有名です。

奈良時代、始まる

平安京へいあんきょうに都が遷されるまでの約80年間を奈良なら時代といいます。

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