784年 長岡京へ遷都

早良親王
早良親王
語呂合わせ

納屋よ(784)りマシな、長岡京

覚え方

784年の長岡京への遷都は、684年の藤原京への遷都から「100年後」である。

長岡京ながおかきょうは、桓武かんむ天皇によって造営された都城です。

仏教勢力の政治介入が問題となっていたため、平城京へいじょうきょうから遷都することになりました。

しかし、造営使ぞうえいし藤原種継ふじわらのたねつぐが暗殺されたため、さらに平安京に遷都されることになります。

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仏教勢力の政治介入を抑えるために遷都

称徳しょうとく天皇の時代、僧の道鏡どうきょうが天皇の座を狙ったとされる宇佐八幡宮神託事件うさはちまんぐうしんたくじけんが起き、仏教と政治の結びつきが強くなりすぎていました。

これを受けて、桓武天皇は仏教勢力の影響から離れ、政治改革を進めるため、長岡京へ遷都しました。

藤原種継暗殺事件

しかし、造営使の藤原種継が暗殺される事件をきっかけに、政治が不安定になりました。

造営使は、新しい都の造営を担当した臨時職です。

早良親王の悲劇

藤原種継の暗殺の疑いをかけられた早良さわら親王(桓武天皇の弟)は、淡路島に流される途中で絶食し亡くなります。


その後、天災や身内の不幸が続いたことで「早良親王の祟り」が恐れられ、長岡京はわずか10年で放棄されました。


その後、794年に平安京へと遷都されることになります。

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