徳政相論は、桓武天皇に政治の意見を求められた藤原緒嗣と菅野真道が、軍事と造作について論じた議論のことです。
桓武天皇は、「軍事と造作をやめることを善しとする」藤原緒嗣の意見を採用しました。
目次
疲弊する民衆
桓武天皇の時代、軍事(蝦夷の征討)と造作(平安京の造営)にかかる膨大な出費によって、民衆の生活が圧迫されていました。
あわせて読みたい
801年 坂上田村麻呂の蝦夷征討
語呂合わせ やれ行(801)け、坂上征討 坂上を降伏させました。 朝廷と蝦夷の対立 蝦夷とは、古代から中世にかけて東北地方に住んでいた人々の総称です。 ヤマト政権と…
あわせて読みたい
794年 平安京へ遷都
名古屋太郎, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons 語呂合わせ 鳴くよ(794)ウグイス、平安京 覚え方 794年の平安京へ遷都は、694年の藤原京へ遷都の「100年後」である…
浮浪
重い税負担と労役により、農民の「浮浪」が急増します。
浮浪とは、口分田を捨てて本籍地を離れることで、律令制度の基盤を揺るがす深刻な問題でした。
あわせて読みたい
701年 大宝律令の制定
語呂合わせ なまる人(701)にも大宝律令 大宝律令(行政法・民法)から成る法典です。 大宝律令とは 大宝律令からなる法典です。 律令政治の基本法となりました。 律と…
偽籍
また、税負担を軽減するための「偽籍」も横行しました。
偽籍とは、性別を偽って戸籍に登録することです。
女性は、男性のように兵役の義務がなく口分田も男性の3分の2で良かったため、性別を偽る者が多発しました。
負担軽減政策
朝廷は、農民の浮浪や偽籍の問題に対応するため、様々な政策を実行してきました。
雑徭の負担を半減
雑徭を、年60日から30日に負担を半減しました。
雑徭とは、成年男子の労役のことです。
公出挙の利率を低減
公出挙の利率を5割から3割に下げました。
公出挙とは、国が農民に稲を貸し付け、利息をつけて回収する制度のことです。
班田収授の改定
班田収授の頻度を6年に1回から、12年に1回にしました。
勘解由使の設置
地方政治の乱れを抑えるため、勘解由使と呼ばれる令外官を設けました。
令外官とは、令の規定のない必要に応じて設けられる官職のことです。
勘解由使は、国司交代の監査官で、後任に財源や官舎を引き継いだか監督しました。
健児の制(792年)
民衆を徴兵する軍団を廃止して、志願者から成る健児の制を採用しました。
常備兵を減らすことで出費が減少するとともに農民が増加するため税収の増加も期待できました。
あわせて読みたい
792年 健児の制
語呂合わせ 泣くに(792)泣かれぬ、健児の制 健児の子弟を兵士として採用する軍事制度です。 これまでの徴兵による軍団制に代わり、少数精鋭の部隊である健児を編成し…
徳政相論
様々な負担軽減政策を実行してきた朝廷ですが、抜本的な解決には至りませんでした。
このような中、桓武天皇は、徳政について藤原緒嗣と菅野真道に諮問しました。
これを徳政相論といいます。
なお、「徳政」とは仁徳による政治を意味し、民衆の負担軽減と国家の安定を目指した政策転換を議論するものでした。
藤原緒嗣の意見
桓武天皇の「国の政治をどうしたらいいだろう」という問いに対して、藤原緒嗣とは次のように答えました。
「人々が苦しんでいる原因は、軍事(蝦夷の征討)と造作(平安京の造営)である。この2つを止めれば、人々が安らかになるだろう。」
藤原緒嗣は、式家の藤原百川の長男です。
菅野真道の意見
一方、菅野真道は、「軍事と造作を止めれば、天皇の権威に傷がつく」と言って反対しました。
桓武天皇は緒嗣の意見を採用
桓武天皇
桓武天皇は、藤原緒嗣の意見を採用し、軍事と造作は中止となりました。
なお、この内容は、日本後紀という史料に記述されています。