薬子の変(平城太上天皇の変)は、平城上皇が藤原式家の藤原薬子・藤原仲成兄妹と共に、上皇の復位と平城京の復都を企てた政変です。
太上天皇とは、退位した天皇に贈られる尊称です。略して上皇ともいいます。
現天皇である嵯峨天皇と藤原北家の藤原冬嗣により鎮圧され、薬子は自害、仲成は射殺されました。
この事件が、藤原北家が台頭するきっかけになりました。
目次
桓武天皇から平城天皇へ
桓武天皇(在位781-806年)は長岡京を経て平安京への遷都を行い、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命して蝦夷討伐を進めるなど、積極的な政治改革を行いました。
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桓武天皇には複数の皇子がいましたが、第一皇子の安殿親王が平城天皇として即位します。
嵯峨天皇の即位
嵯峨天皇
桓武天皇の後を継いだ平城天皇でしたが、病気を理由に退位し、弟の嵯峨天皇が即位します。
しかし、平城天皇は太上天皇(上皇)として依然として政治的影響力を保持していました。
二所朝廷
ここで重要なのは、兄の平城上皇が平城京に移り住み、弟の嵯峨天皇が平安京にいるという状況が生まれたことです。
これにより、二所朝廷と呼ばれる2つの政府が存在するという異常状態が発生しました。
式家の藤原薬子と仲成
平城上皇の復権運動を支えたのが、式家の藤原薬子とその兄の藤原仲成です。
藤原薬子と藤原仲成は、長岡京の造営使を務めた藤原種継の子です。
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藤原薬子
藤原薬子は、平城上皇の寵愛を受け、尚侍という官職に就き、政治にも大きく関わっていました。
尚侍は、天皇に仕える内侍司の長官を務める女官で、天皇の命令を臣下に伝える役割を持ち大きな影響力を持ちました。
藤原仲成
藤原仲成は、薬子の兄で妹の影響で重用され官職を得て政界で力を持ち、式家の勢力拡大を狙って動いていました。
北家の藤原冬嗣
藤原冬嗣
一方、嵯峨天皇側には、北家の藤原冬嗣が仕えていました。
冬嗣は嵯峨天皇の信任を得て、新設された蔵人頭に、巨勢野足とともに任命されます。
蔵人頭は、天皇の機密事項を扱う令外官で、その役所を蔵人所といいます。
令外官
令外官は、令の規定にない官職のことです。
代表的なものとしては、中納言、参議、勘解由使、蔵人頭などがあります。
なお、「奈良時代にできた令外官」と「平安時代にできた令外官」では、性質に違いがあります。
奈良時代にできた令外官
奈良時代にできた令外官には、中納言、参議、内大臣があります。
これらの令外官は、太政官の機能を補強するものでした。
令外官 | 役割 |
---|
中納言 | 大納言の補佐役 |
参議 | 八省・左右弁官の長官 |
内大臣 | 左右大臣の下での政務 |
平安時代にできた令外官
一方、平安時代にできた令外官には、征夷大将軍、勘解由使、蔵人頭、検非違使、押領使、追捕使、関白といったものがあります。
これらの令外官は、太政官の機能を奪うものでした。
例えば、薬子の乱ののち設置された検非違使が挙げられます。
検非違使は、裁判などを行う刑部省や不正を監視する弾正台、京職などの職務を吸収し、平安京の警察や裁判を行う治安維持の職務を担うようになりました。
令外官 | 役割 |
---|
征夷大将軍 | 蝦夷征討の最高指揮官 |
勘解由使 | 国司交代の監視 |
蔵人頭 | 天皇の機密事項を扱う |
検非違使 | 平安京の治安維持 |
押領使、追捕使 | 諸国の反乱の平定 |
関白 | 成人した天皇の補佐役 |
薬子の変
810年、平城上皇は再び都を平城京に戻す「復都」の詔を出し、復位を目指しました。
これに嵯峨天皇は強く反発し、すぐに軍事行動に出ます。
その結果、藤原薬子は自害、藤原仲成は捕らえられて射殺されました。
また、平城上皇は、出家に追い込まれました。
こうして、政変は未然に鎮圧され、嵯峨天皇の政権が確立されました。
藤原北家の台頭
薬子の変により、嵯峨天皇の信頼を勝ち得た藤原冬嗣によって、藤原北家は台頭していくことになります。
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