応天門の変は、応天門の炎上事件をめぐって、大納言の伴善男が、左大臣の源信を放火の容疑者として告発したが、後に伴善男自身が真犯人として告発され、流罪となった事件です。
この記事では、応天門の変について整理し、高校日本史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
目次
天災の続く不安定な時代
この時期の日本は、富士山の貞観大噴火(864年)や陸奥沖の貞観大地震(869年)といった災害が続く不安定な時代でした。
そんな中、平安京で事件が起こります。
応天門の炎上 ― 平安京のミステリー
炎上する応天門と見物する人々
866年、平安京の正門である応天門が突然焼失する事件が起こりました。
この事件はただの火事ではなく、のちに朝廷の勢力図を大きく塗り替える政治事件へと発展します。
疑われる源信
源信
事件後、大納言の伴善男は、政敵である左大臣の源信が放火犯であると朝廷に訴えます。
源信は誠実な人物として知られており、この告発には多くの疑念がつきまといました。
源信は、嵯峨天皇の子で、源姓を与えられて皇族を離れていた人物(嵯峨源氏)です。
真犯人・伴善男
伴善男
やがて、事件の真相が明らかになります。
放火の背後には伴善男自身の陰謀があったとされ、逆に善男は伊豆へ流罪となりました。
同時に、善男の子も処分され、伴氏の勢力は大きく後退します。
推定される動機
大納言の伴善男は、左大臣の源信が失脚すれば昇進する可能性がありました。
官位の序列は、左大臣 > 右大臣 > 大納言であり、左大臣のポストが空けば、繰り上げで大納言の伴善男が右大臣になれる可能性があったのです。
これが、伴善男が源信を陥れたとされる動機と考えられています。
良房、正式な摂政に就任
藤原良房
当時、まだ幼少の清和天皇に代わって政務を行っていたのが、外祖父(母方の祖父)である藤原良房です。
この事件で朝廷の混乱を収めた功績により、良房は人臣として初めて正式な摂政に就任します。
藤原良房の事実上の摂政は、清和天皇が即位した時から行われていました。
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