694年 藤原京へ遷都

藤原京
藤原京
語呂合わせ

老朽ろうきゅうし(694)たので、藤原京ふじわらきょう

覚え方

694年の藤原京へ遷都は、794年の平安京へ遷都の「100年前」である。


  • 694年 藤原京へ遷都
  • 794年 平安京へ遷都

藤原京ふじわらきょうは、持統じとう天皇によって造営された日本初の本格的な都城とじょうです。

飛鳥浄御原宮あすかきよみはらのみやから遷都されました。

目次

小規模な都、飛鳥浄御原宮

藤原京へ遷都する前の都である飛鳥浄御原宮あすかきよみはらのみやは、天武てんむ天皇が672年の壬申じんしんの乱の後に営んだ宮殿で、天武天皇と皇后(後の持統じとう天皇)が政治改革を進めた拠点でした。

しかし、飛鳥浄御原宮は、宮殿を中心とした比較的小規模な都でした。

天武天皇の死後、皇后が持統天皇として即位すると、より本格的な都城建設への構想が具体化していきます。

持統天皇の決断

持統天皇
持統天皇

694年、持統じとう天皇は、それまでの飛鳥浄御原宮あすかきよみはらのみやから、藤原京ふじわらきょうへ遷都することを決断しました。

夫・天武てんむ天皇の遺志を継ぎ、中央集権国家の建設を推し進めており、その一環として新しい都を築きました。

持統天皇は、天智てんじ天皇の娘で、夫は天武てんむ天皇です。

藤原京 ― 日本初の本格的都城

藤原京ふじわらきょうは現在の奈良県橿原かしはら市に建設された、日本初の本格的な都城とじょうでした。

これまでの都が宮殿中心の小規模なものだったのに対し、藤原京は唐の長安ちょうあんをモデルとした大規模な計画都市でした。

条坊制の採用

藤原京の最大の特徴は、条坊制じょうぼうせいの採用でした。

条坊制とは、都を碁盤の目状に区画する都市計画制度です。

都城制の採用

藤原宮
天皇の住まいである「宮」

天皇の住居や儀式を行う空間からなるきゅうと官僚や民衆の宅地からなるきょうに分けた都城制とじょうせいが採用されました。

宮が中央にある

藤原京
藤原京

藤原京は、のちの平城京へいじょうきょう平安京へいあんきょうとは異なり、宮(藤原宮)が中央にあるのが特徴です。

短命だった都

藤原京ふじわらきょうは、長く続きませんでした。

わずか16年(694年~710年)で廃都となり、平城京へいじょうきょうへ遷都されました。

藤原京は、持統じとう天皇、文武もんむ天皇、元明げんめい天皇の3代の天皇が都としました。

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